カーボンクレジットとは?企業が知っておくべき基礎知識
「カーボンクレジットは必要そうだけど、どこから始めればいいのか分からない」「投資に見合う効果が得られるのだろうか」多くのホテル・旅館経営者がこうした悩みを抱えているのではないでしょうか?
カーボンクレジットは環境対策だけでなく、ビジネスイベントや富裕層インバウンドの獲得にも効果的なツールとなり得ます。一方で、安易な導入は企業価値を毀損するリスクも。本記事では、基礎知識から成功・失敗事例、実践的な導入ステップまで、経営者の視点で解説し、環境対策と事業成長の両立を実現するヒントをお届けします。
カーボンクレジットとは
カーボンクレジットとは、CO2などの温室効果ガスの排出削減・吸収量を「クレジット」として定量化し、取引可能にした制度です。具体的には、1トンのCO2削減・吸収量を「1クレジット」として換算し、取引できる仕組みです。
この制度を活用することで、企業は技術的な制約などで削減が難しい温室効果ガスを相殺(カーボン・オフセット)できるほか、自社のバリューチェーンを越えた世界全体の温室効果ガスの排出削減に貢献していることを証明できます。例えば、施設のボイラーから排出されるCO2を、森林保全や再生可能エネルギープロジェクトで創出されたクレジットで相殺する、といった使い方が可能です。
カーボンクレジットの重要性
グローバルな環境規制の強化と投資家からの要望により、ホテル・旅館業界においても気候変動に関する開示と取り組みの圧力がかかってきています。2050年カーボンニュートラル達成に向け、多くの国際ホテルチェーンがScope1(直接排出)からScope3(サプライチェーンにおける排出)までの削減目標を掲げています。
しかし、ホテル・旅館業界という特性上、Scope1の一部である「熱利用による排出」や、Scope3の一部である「自社で購入した原材料の製造にかかる排出を即座にゼロにする」ことは技術的・コスト的に困難です。そこで、自社での排出削減努力を補完する手段としてカーボンクレジットが注目されています。
サステナビリティに関する情報開示要請が強まる中、カーボンクレジットの活用は、具体的な環境負荷低減の取り組みとして評価され、環境意識の高い法人顧客や国際会議などのビジネスイベント需要の獲得においても、差別化要因となっています。
カーボンクレジットの種類と特徴
カーボンクレジットは、日本政府が運営する「Jクレジット」「JCM(二国間クレジット制度)」と、民間の「ボランタリークレジット」の3種類に分類されます。
表1 カーボンクレジットの種類
日本政府 | 民間 | ||
Jクレジット | JCM | ボランタリークレジット | |
CO2削減場所 | 日本 | 海外 | 国内外 |
温対法での報告 | ◯ | ◯ | ☓ |
GX-ETSでの報告 | ◯ | ◯ | 一部のみ◯ |
国際的な知名度 | △ | ◯ | ◯ |
自主的な利用 | ◯ | ◯ | ◯ |
(出典:GXリーグ事務局資料[1]、環境省資料[2]、J-クレジット制度[3]をもとに作成)
Jクレジットは国内での排出削減・吸収量を認証する制度で、省エネ設備の導入や森林管理などが対象です。温対法やGX-ETSでの報告に利用でき、信頼性が高い一方、国際的な認知度はやや限定的です。
JCMは日本と海外のパートナー国との間で実施される制度で、国際的な知名度も高く、温対法やGX-ETSでの報告にも活用できます。
ボランタリークレジットは、民間の第三者認証機関が運営する制度で、国内外のプロジェクトが対象です。VCSやGold Standardなどの国際的な認証プログラムは高い信頼性と知名度を持ち、グローバルに活動するホテルチェーンでの採用実績も豊富です。ただし、温対法での報告には利用できない点に注意が必要です。
カーボンクレジットのメリット
即効性のある気候変動対策として活用可能
CO2排出削減は喫緊の課題ですが、設備の大規模改修には多額の投資と長期の工事期間が必要です。例えば、高圧電力を再生可能エネルギーに切り替えるためには、契約更新時期まで待つ必要があります。省エネ設備の導入においても、営業を制限する工事期間が発生する可能性があります。
一方、カーボンクレジットを活用すれば、信頼性の高いプロジェクトから創出されたクレジットを購入することで、即座に排出量を相殺できます。長期的な削減計画を実行しながら、短期的な環境目標の達成が可能です。
マーケティング・PRへの活用
環境配慮型ホテルとしてのブランディングは、ビジネスイベントやインバウンド需要の獲得に効果的です。特に欧米を中心とした先進企業は、出張やイベント開催時のカーボンフットプリントを重視しており、カーボンニュートラルな会場として差別化できれば、ビジネスイベント需要の増加につながります。
また、環境意識の高い欧米やアジアの富裕層観光客は、宿泊施設選びの際にサステナビリティへの取り組みを重視します。カーボンクレジットを活用した具体的な環境施策は、OTAでの掲載時にも効果的なアピールポイントとなります。
宿泊料金への上乗せによる新たな収益モデル構築
カーボンニュートラルステイやエコフレンドリープランとして、通常料金に環境対策費を上乗せした商品設計が可能です。具体的には、宿泊に伴うCO2排出量を計算し、それを相殺するためのクレジット購入費用を含めた料金設定を行います。
先進的なホテルでは、1泊あたり500〜1,000円程度の環境付加価値を料金に組み込み、差別化と収益向上を実現しています。特に、環境意識の高い顧客層からは、追加料金への理解と支持が得られており、新たな収益源として確立しつつあります。
カーボンクレジットのデメリット
グリーンウォッシュ批判のリスク
単にカーボンクレジットを購入しただけでは、かえってネガティブな評価を招く可能性があります。実質的な排出削減努力を伴わない形式的な対応は、環境意識の高い顧客や投資家から厳しい批判を受けるリスクがあります。特に低品質なクレジットや、信頼性の低いプロジェクトを選択した場合「本当の意味での環境貢献になっていない」と見なされ、企業のサステナビリティへの取り組みが疑問視される可能性があります。
排出削減努力の代替としてのカーボンクレジットではなく、排出削減努力とセットで高品質なカーボンクレジットを購入することが重要です。
導入・運用にかかる人的・金銭的コスト
カーボンクレジット市場は複雑で専門性が高く、残念ながら「怪しい」品質のカーボンクレジットも出回っています。信頼性の高いクレジットを選定し、継続的に管理するためには、専門業者への依頼や内部人材の育成が必要になります。さらに、高品質なカーボンクレジットは価格も高くなる傾向があるため、価格転嫁やPRとして利用できなければ金銭的な負担にもなります。
顧客の理解醸成の難しさ
カーボンクレジットにおいて、顧客への理解醸成も重大な課題です。環境への付加価値に対して追加料金を納得して支払ってもらうには、カーボンクレジットの意義を分かりやすく説明する必要があります。例えば、宿泊料金に環境貢献分を上乗せする際は、クレジットが具体的にどのような環境保全プロジェクトに活用されるのか、顧客にとってどんな社会的意義があるのかを丁寧に伝えるコミュニケーション戦略が重要となります。顧客の環境意識を高め、プラスの価値として受け止めてもらうには、視覚的な情報提供や、分かりやすいストーリーテリングが鍵となるでしょう。
成功事例と失敗から学ぶポイント
観光産業における失敗事例
デルタ航空は排出量をボランタリー・カーボンクレジットを用いてオフセットし、「世界初のカーボンニュートラル航空会社」と宣伝してきました。しかし、2023年5月、デルタ航空の利用者らは「温暖化ガスを排出していないと、消費者が誤解する可能性がある」として訴訟に発展。この事例は実質的な環境貢献がないままカーボンクレジットを使うリスクと、「カーボンニュートラル」という用語を使うリスクを浮き彫りにしています。2024年に開催されたパリオリンピック・パラリンピックでも当初はカーボンニュートラルという言葉が使われていましたが、最終的にはその文言は使われなくなりました[4]。
観光産業における成功事例
フォーシーズンズは、リゾート周辺の生態系を保護しながら、地域社会にも経済的な恩恵をもたらす、包括的なサステナビリティアプローチを実施しています。例えば、コスタリカのペニンシュラ・パパガヨ・リゾートの宿泊プランには、コスタリカの森林再生に関わるクレジットを用いたカーボンオフセットプランがあります[5]。
このプロジェクトは単なるカーボンオフセットを超え、ホテルの立地する地域の自然環境と密接に結びついた取り組みです。森林再生と地域経済の活性化を実施しながら、排出量をオフセットできる取り組みになっています。
これらの成功事例、失敗事例から、たとえ高品質なカーボンクレジットを使ったとしても、消費者に誤解を与えるような表現は避けること、自社のビジネスや立地に関係するカーボンクレジットを使っていくことが重要だとわかります。
取引開始までのステップと必要な準備
ステップ1:排出量の包括的な現状分析
まず、自社の正確な温室効果ガス排出量を算定します。下記の内容を網羅的に把握することが重要です。
- Scope 1(直接排出)
- Scope 2(使用電力に起因する間接排出)
- Scope 3(サプライチェーンを含む広範な間接排出)
ステップ2:削減目標の明確な設定
排出量分析結果に基づき、具体的かつ実現可能な削減目標を設定します。短期(1-3年)、中期(3-5年)、長期(5-10年)のロードマップを作成し、各段階での削減率や達成すべきマイルストーンを明確にします。ステップ1、2をおこなうことで、どのくらいのカーボンクレジットがいつ必要になるのかが明確になります。
ステップ3:どのようなカーボンクレジットを、誰から購入するか検討
自社の戦略にあった、信頼性の高いクレジットを選ぶ必要があります。そのクレジットをプロジェクト開発者から直接買うのか、仲介業者から買うのか、市場から調達するのか等、入手方法も検討します。
ステップ4:デューデリジェンスの実施
選定したプロバイダーとプロジェクトについて、詳細な調査を行います。本当に高品質なクレジットかどうかを慎重に判断するために、次のことを確認しましょう。
- クレジットの追加性(追加的な環境改善)
- 持続可能性
- 検証方法
ステップ5:段階的な導入と効果検証
最初は小規模からスタートし、段階的にカーボンクレジット戦略を拡大します。定期的な効果検証と、必要に応じた戦略の調整を行うことが重要です。
取引方法と価格の決定メカニズム
カーボンクレジットの取引は、主に以下の3つのルートで行われています。
- 相対取引(直接取引)
クレジット創出者と購入者が直接交渉をおこなう取引形態で、最も多くの取引が相対取引でおこなわれています。カーボンクレジットの品質を見定める必要はありますが、信頼できる取引先との長期的な関係構築が可能で、大口取引に適しています。
- 取引仲介業者の活用
専門商社やコンサルティング会社を通じた取引です。割高になってしまいますが、プロジェクトの品質評価や価格交渉を仲介業者に委託できる利点があります。
- 取引市場の利用
最近では、東証にJクレジットの取引市場が開設されたり、国内外にボランタリーカーボンクレジットの取引市場が整備されつつあります。取引数量や価格の変動リスクがあることに注意が必要です。
自社に適したクレジットタイプの選び方
選定にあたっては、以下の3つの観点から総合的に判断することをお勧めします。
- 利用目的との適合性
温対法での報告が目的の場合は、JクレジットやJCMを選択する必要があります。一方、顧客向けのカーボンオフセットプランなど、マーケティング目的であれば、国際的な認知度が高いボランタリークレジットも有効な選択肢となります。
- ストーリー性
クレジットの創出プロジェクトに自社の価値を向上させる魅力的なストーリーがあることが重要です。例えば、地元の森林保全プロジェクトから創出されたクレジットは、地域貢献としてアピールでき、途上国の再生可能エネルギープロジェクトのクレジットは、国際貢献として訴求力があります。
- 取引の継続性
短期的なキャンペーンではなく、継続的な環境戦略として位置付ける場合は、安定した調達が可能なクレジットタイプを選ぶことが重要です。
まとめ
カーボンクレジットは、ホテル・旅館業界の環境戦略において重要なツールとなりつつあります。しかし、これを環境戦略の主軸に置くことは危険です。むしろ、自社の具体的な排出削減目標を設定し、その達成を補完する手段として位置づけることが重要です。自社の立地や事業特性に即したストーリー性のあるクレジットを選び、地域社会への貢献と組み合わせることで、グリーンウォッシング批判を避けながら、企業価値向上につながる戦略的な活用が可能となるでしょう。
参照
[1]GXリーグ事務局資料『GX-ETSにおける適格カーボン・クレジットの活用に関するガイドライン』
[2]環境省『温室効果ガス排出量 算定・報告・公表制度』
[3] J-クレジット『J-クレジットの活用法』
[4] The Washington Post “The Paris Olympics organizers say the event was far less polluting than recent Games”
[5]Four Seasons Resort Peninsula Papagayo, Costa Rica, Sustainability